掃除とは物事の始まりであり、終わりである

1998/7/01

私が会社の有志の人達と一緒に毎週一回、朝の7:30から本社(赤坂)周囲の道路を掃除
し始めたのが、96年4月ですから、早いものでもう2年2ヶ月が過ぎた。
2年間やってみて季節の移り変わりが良く分かるようになった。
真冬は案外枯葉が少なくて、春先のさくらの花が散る頃に多いとか…
前の日に飲み過ぎて気分が悪い時、勿論、本音では「今日はサボろうかな」と思うことがあ
ったが、そんな時でも掃除が終わると、心の垢を落とした様な気持ちになって、気分爽快に
なるということも体験した。
今は毎週金曜日にやっているんですが、先日はちょっと辛かった。
掃いても掃いても、木の葉が落ちて来て、やり甲斐がないんです。
それに雨上がりだったから、ひっついてしまって中々ゴミが取れなくて、
いつもの倍位の力がいりました。
「掃除をしたからといって、自分の成績が上がるとか、あるいは人間がしっかりしてくると
か、
そういう様なことはある筈もない。」
と思う人は多いかもしれない。
しかし、汚い店と掃除の行き届いた綺麗な店が並んでいたら、よほどのへそ曲がりでもない
限り、君達も綺麗な店へ行くでしょう。
つまり、掃除や片付けのようなイロハのことを大切にする人こそが、他人との違いを作り出
すことが出来るんです。
整理、整頓、清潔、清掃、躾をきちんとすることが掃除の基本的な仕組みである。
掃除とは、単に汚いものを掃き出して行くだけではなく、人間活動の基本である。
掃除とは「準備作業であると同時に、完成する作業である。」
仕事でも、練習でも、何事に限らず、あらゆる事を開始する時には、整理、整頓、清掃をし
て準備し、終わった時には、また片付け、掃除を行う。
掃除というのは、物事の始まりであり、物事の終わりである。
「継続は力なり」、是非これからも続けて行きたいと思っている。
「掃除の効用」については、96年5月号に書いているので、改めて見直してほしい。
「人と人との出会い」は大事である。
ましてや合宿所で共同生活をするということは大変なことだ。
しかし、長い人生の中で、一般の人達には味わうことの出来ない青春時代の貴重な体験とし
て、将来必ず役に立つだろう。 これは、私の経験から保証出来る。
だから、お互いに感謝の心を持って人間関係を大事にしてほしい。
人が集まれば十人十色である。
最近、ある会社の入社試験の解答に、「十人集まれば色っぽい話が始まること」と書いた人が
いたそうだ。 ついでに「空前絶後」は、「午前中空腹で、午後気絶した」と書いた人がいた
そうだ。
常識として自己研鑚も大事である。
一人一人の姿形が異なっているように、人は十人いれば十人とも個性が違い、好みや考え方も
違う。
お互いに心と心で話をし、相手の話を良く聞いて、より良い絆を築き上げ、共通の目標と
それぞれの目標に向かって精進努力してほしい。