本気になった人間は強い

2000/5/01

並木、関東学生新人選手権優勝おめでとう。
白木(2位)、藤井(3位)も入賞おめでとう。 
苦しい闘いをよく頑張った。 健闘をたたえたい。
柳田を始め他の選手達は、この敗戦の悔しさをバネに、より一層の精進を期待したい。
今年の4月は、この新人戦を非常に楽しみにしていたが、もう一つ興味を持って見守っていたのが、柔道のシドニー・オリンピック最終選考大会となる全日本体重別選手権だった。
古賀稔彦選手は、バルセロナ・オリンピックを制し、世界選手権で3度金メダルに輝いた。
今、30歳を超えてアトランタ・オリンピックの決勝で感じた負い目になんとか決着をつけたい…
その試合は、中盤まで圧倒的に有利だったのに、残りの時間をしのげばいいと逃げてしまった。
そんなずるい戦い方をした自分が許せない。
シドニーを目標にして、その課題をなんとか克服したい…。
体力は衰えても心が充実していれば実力は出る。
心技体は、それぞれ100必要というのではなく、3つ揃って100と考えている。
だから体と技術は、それぞれ10しかなくても、心が80あればいい…。
と言って4度目のオリンピックに挑戦したいと言っていた。
高校3年で世界チャンピオンを破って注目され、
ソウル・オリンピックで金メダル確実と期待されながら3回戦で敗れ、
この挫折を機に柔道感が一変し、自らの意志で何事にも取り組むようになった。
冷静になって敗因を考えた結果、3つのことが浮き彫りになった。
1. 調整段階で、オーバーワークになっていた。
練習のしすぎで本番で下り坂になってしまっていた。
2. 練習はコーチに言われるまま、ただこなしていた。
自分の意志でやることが少ない。 これでは本番で力を発揮出来ない。
3. 周囲からのプレッシャーでマイナス思考になっていた。
その後は自分で練習メニューを作り、日本の為ではなく、
自分の為にやっていることを忘れないようにした。
翌年、ベオグラードの世界選手権で金メダルを獲得し、
小学生の頃から抑えていた初めての涙を流した。
‘92バルセロナ・オリンピック日本選手団主将。
試合10日前の練習で大ケガ(2ヶ月の重傷)をした。
「なんでこんな時にケガを…」と一時は落ち込んだが、その痛みに慣れた時、
優勝したいという気持ちが優勝出来るという確信に変わった。
「ケガで雑念が吹っ切れた…」と彼は思った。
体が動かせず体重を5キロしぼる為に絶食し、鎮痛剤を何本も打って挑んだ試合。
まさに奇跡ともいえる金メダル獲得だった。
そして4年後のアトランタ・オリンピックの決勝戦で逃げてしまった。
勝負の世界に生きていると、いつも強い自分と弱い自分がいる。
その試合では最後の最後に弱い自分が顔を出した。
要するに、「弱い自分に負けてしまったんです。」
「課題を残したままで辞めるわけにはいかないんです…。」
と言って4度目のオリンピックに挑戦した。
そして彼は選考大会で敗れた。 4/26の引退会見では、
「これ以上吸収できないくらい充実感があり未練はない。」
「腹いっぱい競技者人生が出来た。」
「絶対に諦めてはいけないということを教えられた。柔道が私の教科書だった。」
「平成の三四郎」と呼ばれた古賀選手は、達成感に溢れた表情で25年余りにわたった
柔道人生の選手としての幕を閉じた。
本気になった人間は強い。
人間、本気になれば何でもやれないことはない。
本気になるということは、性根が座るということだ。
土壇場に立たされた時、そこから「何くそ!」と奮起する。
そこから奮起した人間は強い。
少々のことではへこたれない。
愚痴もこぼさない。
やるしかないと自覚しているから寝ても覚めても、ただ一筋に、という生活が始まる。
このように人間、本気になれば天(something great)が応援団となり、
運勢も好転していくことは間違いない。