叩かない門は開かない 毎日が転機だ

2003/4/01

明治大学卓球部の出身で、君達の先輩である三遊亭小遊三師匠は
殆どの日本人が知っている程落語家として成功していて、超多忙なのに、
先日の優勝祝賀会兼現役の歓送迎会に出席し、司会を務めてくれた。
時間さえあれば、OBの会合にも出席し、常に協力してくれる。
その彼は、大学3年の頃、学生運動が日本中を吹き荒れていて、
大学の構内に入ることが出来ず、和泉校舎の練習場にも行けず、ブラブラしているとき、ふと新宿の末広亭で落語を聞いてすっかり、とりこになってしまった。
そして、どうしても落語家になりたいと決心して、三遊亭遊三師匠の門を叩いた。
しかし、「大学生で落語家になんかなれるもんか」といわれて、
何回も何回も門前払いを食わされた。
しかし、彼はあきらめずに食いついていった。
余りにしつこいので、遊三師匠は、「それなら、血のつながりのある者を連れて来い」
というので、そこで、彼は姉をくどいて一緒に行った。
師匠と姉との話では、「一年もすれば、熱も冷めるだろうから」
ということで、師匠から
「どうしてもやりたかったら、ちゃんと卒業証書を持ってこい」といわれた。
そこで、彼は師匠の家に通いながら、勉強も一生懸命やって見事に卒業証書を
持って行き、弟子入りが叶ったのである。
前座のときは、毎日毎日板の間で座布団なしの正座の訓練
「廊下のぞうきん掛けなどは、うさぎ跳びより楽だったから、
正座しているよりは、楽しかった。」
「子守り、おむつの取換え、師匠の着替えなど」仕事をいいつけてくれるようになった。
そんな時代、私は久し振りに彼に会ったとき、
彼の手は、ひび割れ、あかぎれ、しもやけで、ひどかった。
「天野(小遊三の本名)も本当に苦労しているな」と思ったが、
彼は、「やらされているという意識は全然なかったので、辛いと思ったことはなかった」と
述懐している。
彼が、もし、閉められたドアを叩かず、簡単にあきらめていたら、今の小遊三師匠は
なかったであろう。
求めないものには与えられることはなく、門を叩かない者は開けてもらえないのである。
運命の扉、志の扉、勝負の扉、人生にはいろいろな扉があるが、
「扉を開く」ということは、門を叩くことから、始まるのである。
最近は、門を叩くどころか、ヨチヨチ歩きの子供のように
手を引いてもらいたがっている人もいる。
それでは、なんとも寂しい。
新しい世界、未知の世界はいくらでもある。
自分の心を躍らせるような考え方はいくらでもある。
誰かに背中を押してもらうのでもなく、誰かに導いてもらうのでもなく、
閉まっている扉を自らの心でこじ開ける積極的な気持ちを持って欲しい。
その扉の向こうには、かつて体験したことのない、興奮が待っているものである。
いよいよ新しい年度が始った。
「初心忘るべからず」
これは、能の世阿弥が書いた「花伝書」に出てくる言葉で、
「修行に停滞はありえないのだから、常に初心を持って取組むように」との戒めだ。
毎日が新しい環境でのスタートであり、いわば、
人生は転機の連続、転機の積み重ねなのである。
常に全く新しい事態に直面しているのだという心構えを忘れないことである。
毎日を転機と感じるための工夫をしていけば、毎日が新鮮になる。
毎日が成長していくための「良い転機」になるよう心掛けていこう。