第1回 受賞者一覧

スポーツ部門 受賞者

福原 千代Chiyo Fukuhara

(卓球指導者)

福原 千代

オリンピックの卓球競技メダリスト、福原愛選手の母親。福原愛選手を幼少期から指導し、輝かしい活躍を長年に亘り支え、日本卓球界の躍進に貢献している。

38歳の時、後に「天才卓球少女・愛ちゃん」と呼ばれる福原愛を出産。3歳で卓球の練習を始めると、英才教育とも言える熱心な指導を施す。福原愛は史上初の全日本グランドスラムを達成、ロンドン、リオのオリンピック2大会連続でメダル獲得、ITTF世界ランキング最高位4位となるなど日本卓球界の牽引者として大活躍。福原千代氏自身、現在でも卓球への情熱は衰えず、指導者として新しい卓球の理論などを積極的に学んでいる。

前原 正浩推薦人

(公益財団法人日本卓球協会副会長)

推薦のことば

福原千代さんは、卓球選手である福原愛さんのお母様。福原愛さんは、3歳で初めてラケットを握り、当時の卓球界の最年少記録を数々と塗り替え、日本卓球界を引っ張って来られた。その活躍はひときわ注目を浴び、多くのメディアにも取上げられ親しまれてきた。その間、卓球界は「愛ちゃん人気」に支えられてきたと言える。
その福原愛さんを幼少期から「英才教育」指導し、支えて来られた福原千代さんがおられたからこそ、福原愛さんの存在がある。
こうした長年に亘り献身的に尽くされてきたことを踏まえて、ここに推薦させていただく。

医療部門 受賞者

高須 直子Naoko Takasu

(京都大学iPS細胞研究所 副所長)

高須 直子

iPS細胞研究における地道な研究支援や基盤構築に関わる活動に携わり、iPS細胞による新しい医療の実現に向けて研鑽する。

1987年、広島大学大学院生物圏科学研究科(修士課程)終了後、住友製薬研究所に入社。知的財産部に異動後、2008年に退職。同年、京都大学iPS細胞研究センター知財産管理室長に就任。その後、京都大学iPS細胞研究所で、知財契約管理室、iPS細胞再生医療推進室、医療応用推進室室長を歴任。現職に至る。
高須直子教授が率いる研究チーム及び支援チームは「iPS細胞技術の実用化を支える日本一のプロ集団になること」をモットーに、再生医療および創薬、それぞれの基盤技術における医療応用を進めている。

山中 伸弥推薦人

(京都大学iPS細胞研究所所長、教授)

推薦のことば

高須直子教授は、京都大学iPS細胞研究所の知財戦略の基礎を築き、医療応用に向けた企業との共同研究契約の管理に携わってきた。
現在は研究支援担当の副所長を務める傍ら、再生医療用のiPS細胞製造プロジェクトを所掌している。
こうした地道な研究支援や基盤構築に関わる仕事なくしては、iPS細胞による新しい医療の実現はあり得ない。本人の長年の功績を踏まえて、ここに推薦させていただく。

保健福祉部門 受賞者

山元 恵子Keiko Yamamoto

(公益社団法人 東京都看護協会 会長)

山元 恵子

ラオス都市部近郊住民の健康診断と、成人病予防のための啓発活動の支援に尽力する。また、これらの活動により、国内外の公衆衛生活動に携わる医療人材育成にも寄与している。

神奈川県立衛生短期大学卒業、放送大学卒業、日本大学大学院 人間科学修士課程卒業。
千葉科学大学 危機管理学専攻博士課程修了 危機管理学 学位取得。
博士論文「経鼻栄養チューブのリスクマネジメントと教育システムについて」。

国立国府台病院、国立療養所中野病院、国立小児病院、国立育成医療研究センター、地域医療振興協会、東京北社会保険病院副看護部長・医療安全管理者、春日部市立病院にて副院長兼看護部長。富山福祉短期大学看護学科 教授、2016年より公益社団法人東京都看護協会会長。
著書『セーフティ・マネジメント入門』(ライフサポート社)共著、『小児のための看護マネジメント』『小児看護とアレルギー疾患』(中山書店)監修、『写真でわかる小児看護技術』『写真でわかる整形外科看護』『写真でわかる介護職の医療的ケア』『写真でわかる経鼻栄養チューブの挿入と管理』(株式会社インターメディカ)監修など著書多数。

嶋森 好子推薦人

(学校法人岩手医科大学看護学部 学部長)

推薦のことば

山元恵子氏は、ラオス国保健省医療情報教育センター(CIEH)と連携してビエンチャン市チャンタブリ郡地域全ブロック11か所の住民の健康診断活動の支援をしている。
一般的に、開発途上国の支援は、感染症予防に関する支援活動が多いが、この活動は、2011年から継続して、糖尿病や高血圧症などの成人病予防を目的に、知識の普及やラジオ体操の紹介等の活動を行っている。
活動に際しては、現地の医療従事者だけでなく、日本の医療従事者や学生及び一般企業で働くボランティアを受け入れている。
これらの活動は、相互の国民が広く交流し、国内外の公衆衛生活動に携わる医療人材育成に貢献することとなっており、本賞に相応しいと考える。

教育部門 受賞者

サイサナソンカム・アロムハック
イティダ ・ニャンヌボン 夫妻Aromhack Saysanasongkham, Gnangnouvong Itthida

サイサナソンカム・アロムハック

サイサナソンカム・アロムハック
(Lao Development Hub and Consulting Co., Ltd. 代表、Lao-Japan Gateway LLP. 共同代表)

ラオス国の教育発展のために、日本とラオスの架け橋となり人材交流と人材育成に奔走する。

1988年 ラオス・ビエンチャン生まれ。ビエンチャン高校卒業後、2007年、厚生労働省奨学生制度で日本に留学。2014年には首都大学東京大学院卒業。在日ラオス学生協会副会長、在日ラオス学生協会顧問となる。現在、Lao Development Hub and Consulting Co. Ltd. 代表。財務省・川崎商工会議所・ラオス商工会議所主催の簿記セミナーのコーディネータを務める。

JICA、JETROのイベント・事業のコーディネータ兼通訳者として活動。通訳などの世話役をしながら、ラオスの教育改善のために妻のイティダ氏と在日ラオスの学生たちの支援や人材育成に尽力を注いでいる。

イティダ ・ニャンヌボン

イティダ・ニャンヌボン
(在日ラオス学生協会顧問)

1988年 ラオス・ビエンチャン生まれ。ラオスの代表として大学時代にシンガポールユースキャンパスに参加。ラオス国立大学法学部国際関係科卒業後は、文部科学省奨学生制度で2012年慶應義塾大学大学院・メディア政策研究科入学。ラオスの初等教育における中退問題を研究。

現在、慶應義塾大学大学院メディア政策研究科在学中。ラオス初等教育における中退問題などラオスの教育に強い懸念を抱き、Progressive Promotion Policyを研究、2015年から2016年、在日ラオス学生協会会長、2016年から在日ラオス学生協会顧問。

児玉 圭司推薦人

(株式会社スヴェンソン代表取締役会長)

推薦のことば

ラオス発展のために日本とラオスの架け橋となりラオス人留学生の世話人(サポート)等を始めとした人材交流とその育成に従事している。その活動範囲は、教育分野・医療分野・IT関連分野・農業活性化分野と多種に亘る。
中でも国際交流活動を通した人材育成とラオス国内の『教育発展活動』への取り組みに尽力し、イティダ夫人と共に両国を奔走している。
ラオス国の「教育発展」の為に「未来のいしずえ」を築いておられる。
*日本とラオスの行事(大使館行事、ラオス保健省-厚生労働省等の省庁間会議、ラオスフェスティバル等)の際は、通訳、事務方、世話役で活動している。

社会活性化部門 受賞者

北岡 賢剛Kengou Kitaoka

(社会福祉法人 グロー(GLOW)理事長)

北岡 賢剛

障害福祉に関わる志ある人たちの全国地域生活支援ネットワーク(「アメニティーフォーラム」の母体)を立ち上げ、障害福祉の変革、質の向上に貢献する。

1958年 福岡県大牟田市生まれ。筑波大大学院障害児教育研究科時代に糸賀一雄思想と出会う。卒業後、知的障害者施設「信楽青年寮」に入職。1993年には障害者の地域生活実現を目指した全国ネットワーク「平成桃太郎の会」結成。翌年、障害児者を対象とする「24時間対応型在宅福祉サービス」を全国に先駆けて実施。1997年には障害福祉の全国フォーラムである「アメニティーフォーラム」を実施。その後、社会福祉法人「オープンスペースれがーと」を設立し理事長に就任。

2004年に設立した「ボーダレス・アートミュージアムNO-MA」ではスイスとの交流事業『アール・ブリュット/交差する魂』展を開催。2010年、パリの「アル・サン・ピエール」美術館『アール・ブリュット ジャポネ』展の日本側事務長、2017年には日本の障害者の文化芸術を総合的に発信する『2017ジャパン×ナントプロジェクト』(フランス・ナント)の実行委員長を務める。2014年に社会福祉法人グロー(GLOW)を発足。

村木 厚子推薦人

(津田塾大学総合政策学部客員教授 元厚生労働事務次官)

推薦のことば

障害者が、隔離された施設の中ではなく「地域でふつうに暮らす」ことを実現するため、先駆的に「24時間対応型在宅福祉サービス」を実践する傍ら、同じ志を持つ者で全国ネットワークを創設した。これを母体に、毎年全国から1500人が参加する「アメニティーフォーラム」(来年で第23回)が開催され、自治体や福祉の現場の者、政策担当者などが3日間にわたって泊まり込み、新たな知見を吸収し、議論を深め、改革の方向性を共有する場を提供している。
また、障害者が持つ豊かな芸術性とそれが社会に与える感動をいち早く見出し、ボーダレス・アートの美術館の創設やアール・ブリュット展のプロデュース等により、障害者の芸術活動に対する社会認識の変革に貢献している。