卓球はおもしろおかしくやろう

2002/7/01

孔子は「これを知る者は、これを好きな者にしかず。これを好む者はこれを楽しむ者にしかず」
といったが、仕事のできる人とできない人の差がつく第一歩は、
そのことを好きになって楽しんでやるか、それとも「義務だから」「やらされている」と思って渋々やるかによって決まる。
同じ時間の使い方でも好きなことをしているときは、苦しみを感じないのが人間。
どんなに環境が悪くても、肉体的に厳しくても、そこに楽しみさえあれば疲れないし、
苦労も楽しみになることは、君達は誰もが経験しているはずだ。
「これは、やらなくてはならない」義務だと思えば、訓練も面白くなくなり、
無理をすればするほど、エネルギー効率は悪くなる。
訓練が楽しくなければ、それに没頭することは不可能で
百点満点の効果を上げられるはずがない。
好きなことは時間を忘れて没頭することができ、
結果として百点まで磨き挙げることができる。
結局、卓球を愛し、とことん好きになった者が勝ちだ。
どんな世界でも本当に優秀な人は、自分のやっていることが好きで好きでしようがなく、
そのこと自身を楽しんでいる。
そのためには、最低条件として、自分のイメージ通りに試合を進めることの出来る
精神力、体力、技術が必要になってくる。
それがあってはじめて、卓球(試合)を楽しむことができる。
卓球を楽しむためには、その前に人の何倍もの努力や鍛錬が必要なのである。
それを怠った者は、卓球を楽しむどころか、訓練は苦痛の固まりにしかならない。
どんなに魅力的にみえて飛び込んだ卓球の道でも、
「毎日こんな練習ばかりして、これでいいんだろうか」「ちっとも面白くないな」
という気持ちになって、自分の目標すらもたないであきらめてしまう人は、
何をやってもダメで社会人になって壁にぶち当たった時、挫折してしまうことになる。
人生には目をつぶって、自分を忘れて夢中になって頑張るしかない時期がある。
私はその期間を会社の社員には「3年間、無我夢中で仕事中心に没頭してみなさい
…そうしたら、その習慣が習性となってその後の人生が必ず変わってくるものだ」
といっている。
大学4年間の卓球人生では、1年間で充分だ、と私は長い経験から自信をもっていえる。
しかし、それは、どれ程限界に挑戦し、集中してやったか、
毎日、寝る時に「今日は本当によくやった」と
自分で自分を誉めて上げられる程の努力をしたかによる。
そして、その決心をするのは早ければ早い程良いが、
上級生の場合でも決して遅くはない。
それは、社会人となった時、その努力は必ず活きてくるからである。
たとえ、何をやっても上手くいかなかったり、
壁にぶつかってどうしようもない時でも、一生懸命、
いろいろ工夫してやっているうちに、必ず道が開け、面白くなってくるし、
そういう時ほど、何かが身につくものだ。
そして、自分の描くイメージが自分の腕で確実に実現できるようになった時、
心から喜びを感じ、楽しむことができるようになる。