熱意をもって新しい一歩を踏み出そう

2003/10/01

関東大学リーグ戦の春秋連覇おめでとう。
レギュラー選手も、控えにいる選手も、それぞれが自分の役割を
立派に果した結果の勝利であることが、何よりも嬉しかった。
やはり全員の熱意が天に通じ、勝利の女神が微笑んでくれたのであろう。
「人生は努力の連続だ」と功成り名遂げた人はよく言う。
一所懸命やっても失敗すれば、それは失敗だ。
手を抜いて失敗することもあれば、肩の力を抜いて成功することもある。
たまたまタイミングが良かっただけでも、成功は成功だ。
こんなことを何年も何年も続けていることが人生である。
そんな幸不幸、成功失敗という大河を行き抜く中で、一番大事なことで、
「偉いなあ」と思える人は“自分を励ませる人”だと私は思う。
自分の中に燃えている熱意と努力の火を決して消さない、それが、大切なのである。
人は何をするにしても知識は必要だ。
卓球の道でも計り知れない程の技術の知識、体力トレーニングの方法、
メンタルタフネスの方法、学ぼうと思えば思う程、奥深い。
しかし、知識が100あっても、熱意がなければトータルは0となる。
この知識に熱意を掛け算して、体験を加味すれば、必ず結果は出てくる。
知識が5しかなくても、熱意も同じく5あれば、トータルは掛け算だから、25となる。
知識ばかりあって、やる気のない人間の成績がパッとしないのは、これが理由である。
この世は非常に公平にできている。
①才能も大、努力も大ならば、結果は超大
②少しの才能、多くの努力ならば、結果は大
③少しの才能、少しの努力では、結果は小
④多くの才能、少しの努力ではどうだろうか、結果は小。
熱意と努力さえあれば、才能はあっても努力しない人間よりも
大の成功が約束されているのだから、頑張らない手はない。
このことは、私が今まで何百人という選手をみてきて確信を持っていえることである。
だから、「あらゆる素質の中で、最も大事な資質は、努力することが出来るか、
どうかという素質である」というのが、私の持論なのである。
熱意がなければ知恵も工夫も生まれない。
熱意に関しては、誰にも負けないものを持たなくてはならない。
知識や才能は劣っても構わない。
しかし、熱意については、最高であって欲しい。
強い熱意があれば、それは、必ず人を動かすことになる。
その熱意に感じて、知恵ある人は知恵を、才能ある人は才能を、
お金のある人はお金を、時間のある人は時間を提供してくれるようになるものだ。
新しい一歩を踏み出そう。
昨年と同じ、昨日と同じことをしていては前進はない。
どうしたら、もっと良くなるか、どうしたらもっと進歩できるか、
どうしたら、どうしたらと常に創意工夫を重ね、行動に移すことが本当に努力したことである。
例えそれで失敗してもそれは、尊い経験となり前進への足跡となる。