「なにくそ」というのはいい言葉だ(ノーベル物理学者 小柴昌俊氏に学ぶ)

2007/5/01

中学1年のとき、小児マヒにかかった。
ある朝目覚めたら、手も足も動かない。寝返りも打てない。
当時は治療法もなく、入院してもすこしずつ手足を動かす療法しかない。
それでもこのまま動かなくなってたまるかと、自分流のリハビリを続けた。
じれったいほど時間がかかるし、やっと歩けるようになっても
バスのステップに上がれなかったので、通学には片道4キロの道を徒歩で通った。
人っ子一人いない田舎の道で転んで、起き上がれなくて、
人に助けて貰うまで一時間半ほど、みじめだったけど、
「こん畜生、こん畜生 ― 」と言い続けていた。
私はこの経験で、本気にならなくては駄目になると強く思うようになった。
だから、ただ一人で筋肉を動かし続けた。
右手に後遺症は残ったけど、左手と足は動くようになった。
「なにくそ」という本気が、自分の人生を変えていくんだと学びましたし、
それは自分を信じる力にもなった・・・と言えます。
ついていないとか、大きく後れを取ったという状況は気持ちに負荷がかかるわけで、
あせりながらも本気への集中力が増していくんです。
おそらく人生の中で、何度かはそういうことがあるでしょう。
その時に逃げてしまったり、人のせいにするのは残念ですよ。
自分が本気になれる機会を失ってしまうわけだから。
1度でも2度でもいい、
「執拗に自分の本気にたどり着け」
と私は言いたいですね。
朝日新聞07.4.8 抜粋
スポーツの世界でもビジネスの世界でも、
「壁に突き当たる」ことはよくあります。
人が成長するのは、右肩上がりに順調には伸びません。
階段状に壁にぶち当たりながら、その壁を乗り越えて又成長するものです。
その壁が薄くて低い場合もあれば、もの凄く厚くて高い場合がある。
その時行き詰って「もう道がない」と思ってしまうと、何も考えられなくなってしまう。
しかし、どんなに厚い壁であっても、必ず道はあるのです。
そして「何かやるべき道があるだろう」と考え始めた瞬間から、
問題は半分解決しているのです。
やるべき道があると考えた人は、無意識の中にも「突破口」を考え、
わずかな手掛かりでもヒントにして問題を突破し次のステップに上がっていく。
大きな壁にぶち当たった時、それが形を変えた「チャンス」だと思えるようになれば、
その壁の先にあるものを信じられるようになる。
どんなスポーツでも、仕事でも、卓球でも、
何かをやるということは可能性を追いかけることである。
成長のため、改善したり、改革する要素は無限にあると思う。
そう考えて、常に新しい目で、
「なにくそ」と本気で考えて行動し、自分の人生を切り拓いていこう。