私たち夫婦の願い

2015/10/01

パーキンソン病を患っている家内が、以前から、
発展途上国の恵まれない子供たちに役に立てることはないか、
ということに関心を持ち始め、何か出来ないかと模索してきました。
最近になって、その思いは、ますます強くなってきました。
しかし、どのように手を打てば良いのかが分からないまま経過していました。

勿論、「ユニセフ」や「国境のない医師団」などの募金活動には、
協力をして参りましたが、資金がどのように遣われているかがよく解らず、
実感が沸きませんでした。

今年に入って、たまたま、ジェトロのM氏と会った際、このことが話題になり、
ラオスの教育面は、ミャンマー、カンボジアよりも悪い状況にある、ということが分かり、
また、仏教国であることや、親日国であることなども知ることができました。
そういうことで、今回のラオスへの学校建設については、
長年、二人が抱いてきた思いと、合致するものと期待が膨らみ、話しが進みました。

この学校で、「夢や目標を持つ」ことを学び、
日本への留学はもとより、各国に飛び出し、将来、ラオス国の力となり、
さらには、世界で活躍できる子供たちを、一人でも多く輩出することができれば
こんなにうれしいことはありません。

また、私は、事業の外に卓球というスポーツに骨の髄まで漬かっておりまして、
選手としても、日本代表チームの監督としても、長年に亘り携わり、
30数カ国と交流を結んできましたので、
卓球スクールも、是非作りたいと、強い思いを持ちました。

このスクールから、世界選手権に出場するような人材が育ち、
国際的に活躍する選手を輩出できれば良いなという思いで、夢が膨らんでいます。
また、サワンナケート県地域の文化活動が卓球を中心に発展し、
この地域全体が卓球のメッカ(聖地)になれば、
こんなに嬉しいことはないと強く思うようなりました。

私たち夫婦は今年3月に、ラオスの首都ビエンチャンから飛行機で50分位(車で7時間)の
現地(サワンナケート県)を訪問しました。
そして現場を視察し、現地の方々と話し合った結果、
ノーンサワーン村に小学校、ウートンボン郡庁舎の敷地内に卓球スクールを
建設することを決め、契約をしました。

それが完成しましたので、
9月5日に、小学校(Nonsavang KODAMA primary school)、
9月6日に、卓球スクール(SAVANNAKHET-KODAMA PingPong School)の
完成式典と贈呈式のため現地へ行きました。
200人以上の子ども達を始め、現地の県、郡、村の幹部や、父兄の方々が
大勢出迎えてくれました。
また、ラオス国の教育副大臣、駐ラオス日本公使一行も、
ビエンチャンから車で7時間掛け、式典に参加していただきました。

今年は日本ラオス外交関係樹立60周年という記念すべき年に当たり、
今回の小学校及び卓球スクールの建設がその記念事業として認定されました。
そして、安倍総理大臣からメッセージを頂き、
式典では、鈴木公使がそのメッセージを読み上げていただきました。

この事業について、提案から企画・進行まで、全てにおいてアドバイスしていただいた、
コンサルタントのMさん、JICAの海外青年協力隊として、ラオスで活躍し、その後、現地に   住み着き、ラオスの成長に情熱を傾けている、早瀬登志夫さんには、現地での打合せや、  建築中の指導など、一方ならぬご支援をいただき、感謝の気持ちでいっぱいです。

また、私たちのこの計画を知った仏画で数々の賞に輝いている中田恭子画伯が
ラオスの発展を願った素敵な絵を描いてTシャツを作り、それを現地の子どもに着せて、
制服変わりに使ってもらいたい━と300枚寄贈してくださり、
さらに、超多忙な日赤医療センター 消化器内科部長の重責を担っている、
ご主人の中田良医師と共に自費でご同行くださいました。

ソプラノ歌手の竹林加寿子さんも自費で同行して下さいました。
ラオスの子ども達が、まっすぐ元気に、成長して、輝いていきますよう祈りを込めて歌を歌ってくださり、
『こんな経験は誰も出来るものではありません。改めて「世界はひとつ」ということを
深く心に刻むことが出来た━』と言ってくださいました。

ラオスの子ども達の輝いた瞳、驚きと感謝で吸い込まれるような瞳。
ラオスの将来にとって大きな力となり、地域にとっても、国にとっても、役立ち、
世のため、人のために貢献できるような大人に成長してくれますよう心から祈っております。

私たち夫婦も思いが叶い、感動で胸が震える思いで無事帰国しました。