優勝という二文字の難しさ

1999/11/01

昭和55年(1980年)明治大学創立100周年の年であった。
その時私は何を考えたか…我々は、OB、現役含めて200年目を祝うことは不可能である。
この100周年という節目に、遭遇出来た幸運を嬉しく思ったのである。
そしてその節目に、卓球部として貢献するとしたら何が出来るのか。
それは、「優勝して花を添えることだ」というのが私の結論だった。
選手、環境、指導体制、それに伴って必要なお金等を徹底的に分析して、
100周年の5~6年前から準備を進めてきた。
その年はもちろんのこと、3年前から正月返上で合宿をした。
しかし、お金がないので遠征合宿はダメなので、四ヶ所、渋谷、兒玉の家に3~4名づつ、
選手を預かって平沼園で合宿をやった。
(当時は正月に食糧等を買える店が開いていなかった。)
あらゆる努力を重ねて、練習量もどの大学より絶対に多いし、内容も良かった。
しかし、28年間も優勝の経験がない為、それまでも「優勝」という二文字の難しさを
何度も味わってきた。
シーズンに入り、フタを開けてみたら、結局その年も春のリーグ戦で負けてしまった。
指導陣の一人よがりだったのか….と随分悩んだ。
リーグ戦の二日後、キャプテンの石田に
「リーグ戦に負けるようでは、インカレに勝つのは無理かな。」
(当時は、近大が全盛で、関東の大学はどこも歯が立たない程、圧倒的強さを誇っていた。)
「いや、オーダーがぴったりで、選手のコンディションが最高だったら勝てるかもしれません。」
「よし、ほんの少しでも可能性があるなら挑戦してみよう。」
それからは練習量と内容には自信があったので、
「こうすれば勝てるだろう。」「いや、これなら勝てるはずだ。」
という暗示をかけてムードを作っていった。
考え方としては、決勝で負けるなら準々決勝、準決勝で負けても同じである。
という考え方で、相手は近大戦一本に絞り、対策を考えた。
インカレの2ヶ月前に近大戦の最高のオーダーはこれだ….と決めた。
大会に入り、選手全員必死に戦い、準決勝まで勝ち抜いてきて、
決勝に駒を進めることが出来た。
相手は予想通り、近大である。
オーダーは2ヶ月前に決めてある。
準決勝まで全勝できた平岡(2年)に替え、予定通り近大戦のみに絞って今大会初出場の岡部(3年)を起用した。
決勝戦は渡辺(1年)と糠塚・渡辺のダブルスの活躍で2-2となり、
勝負の行方はラストで、キャプテンの石田が宮崎(後に世界ベスト8)と相対した。
1セットめ、初めから防戦になり、負け。
2セットめも大量リードされ、明大ベンチは完全に諦めムード。
しかし、彼は必死に頑張って挽回した。
3セットめ、また大きくリードされたが、じりじりと点差を縮め、
またまた奇跡の大逆転を演じたのである。
なんとこれが、明治大学にとって、28年ぶりの全日本大学対抗優勝!
創立100周年に貢献する、大逆転勝利となったのである。
渡辺武弘君(‘91年全日本チャンピオン)は、60周年記念誌で、
『私が入学した春のリーグ戦には単複使ってもらいチームも優勝を目ざしましたが
残念ながら最終戦で中央大学に敗れ念願の優勝ができず、大変くやしい思いをしました。
春のリーグ戦も終り何日かたって兒玉さんと渋谷さんに呼ばれてこう言われました。
「今年明治大学は創立百年を迎える。
我が卓球部はその百周年という節目に出会い幸福と思わなければならない、
それと同時にこの百周年に卓球部が優勝をして華をそえなければならない、
だからインカレを全員で頑張って優勝するんだ」と。
私はこの話を聞いた時、内心非常にむずかしいと思いました。
なぜなら関東学生リーグでも優勝できなかったし、そのうえインカレで優勝するためには
関西の近畿大学をも倒さなければならない。
当時の近大はそうそうたるメンバーだった。
私は優勝するため頑張りますとは言ったものの本気でその気持ちにはなれませんでした。
それから毎日インカレ優勝目ざして練習が始まりました。
初めの頃は優勝という二文字がなかなか頭にえがけなかったのですが、
兒玉さんはじめコーチ陣の指導などで頑張らなければならないという気持ちが
選手みんなに伝わっていき、オーダーがうまくいけば勝てるのではという気持ちに
変ってきました。
愛知県体育館でインカレが始まりました。
しかしまだこの時も優勝できるという気持ちにはなりきれませんでしたが、
自分は単複出場するのでとにかく精一杯頑張るしかないと思い大会を迎えました。
準決勝、日大に勝ち、決勝まで上がりました。
相手は予想通り近大でした。
決勝戦では、2-2となったラストで石田さんが大逆転の金星を上げ、
28年ぶりにインカレに優勝し、同時に創立100周年に華を添えることができ、
最高の思い出となりました。
何事も“成せば成る”という諺がありますが、ある目標に向かって精一杯頑張れば
必ず良い結果が出せるということを兒玉さんはじめ、監督、コーチの方々に
教えて頂き ました。』
と述べている。