思いの強さ (100号記念)

2004/5/01

1996年2月に「今月の言葉」を書き始めた。
明大スポーツ新聞の記者が、この「今月の言葉」を評して、
連覇支えた一枚の架け橋、“行間に思い溢れる”
兒玉総監督と部員の心は、この一枚の紙で、しっかりつながっている。
と記事に書いた。
そして、今月が丁度100号という私にとっては、記念すべき「今月の言葉」となった。
振り返ってみれば、「随分、いろいろな角度からいろいろなことを書いてきた。
自分自身の「思い」が、君達の卓球の道を極めるための指針となったり、或いは、
学生生活を終え、社会人となって新しい人生を歩む上での参考になれば、
これ程嬉しいことはない・・・という思いで、今も書き続けている。
さて、今月は“思いの強さ”について私の経験を語ることにしよう。
私が、初めて世界選手権・日本代表選手団の監督を荻村伊智朗氏と共に
指名されたのが、1965年のリュブリア大会(ユーゴスラビア)である。
当時の私は、兄と共に起こした会社が、まだヨチヨチ歩きの状態だったので、
引き受けるかどうか、大いに迷っていた。
そんな状況のとき、荻村氏が突然、朝早く我が家に来て、
「日本卓球界のために一緒にやろう。是非引き引けてくれ」と口説かれた。
私は彼の情熱に感動した。兒玉29歳、荻村氏、31歳のときだった。
その時の選手は、(男子)、木村興治、高橋浩、小中健、野平孝雄
(女子)、関正子、山中教子、磯村淳、深津尚子(いずれも旧姓)というメンバー。
この選手団は、日本卓球界の歴史に残る質の高い、厳しい訓練をこなし、
ハイレベルなチームワークだった。
この時、合宿、試合を通じて、半年以上に亘り、荻村氏と起居を共にして
卓球の真髄、奥深さ、物事に打ち込むことの素晴らしさを心底から味わった。
又、荻村氏の理論に裏打ちされた心・技・体の眼力を肌で感じ、学ばせて貰った。
それは、“思いの強さ”からくる努力であり、向学心であることを知った。
私も現役時代、荻村氏と同じ位の“思いの強さ”があれば、世界の一流選手として
活躍できたのではないかと、つくづく反省し、残念に思ったものである。
この大会は、金メダル2個、銀メダル2個、銅メダル1個という成績だった。
終了後、10ヵ国程の招待に応じ、各国を遠征した1ヶ月ほどの間、
日夜、日本卓球界の将来について話合った。
この侭では、日本はどんどん中国に離されてしまう。今のうちに抜本的な対策が必要だ、強化対策本部を作るべきだという結論になった。
帰国後、日本卓球協会の理事会で、最も若い理事だった私は、
向こう見ずな情熱をぶつけて、強化対策本部の設置を提唱し、多くの反対を押し切って、成立させることが出来た。
(当時の荻村氏は母体の関係がなく理事ではなかった)
この強化対策本部が挫折することなく、健全に機能していたら、
日本の卓球は世界の雄として、継続して世界をリードしていたのではないかと
残念に思う。
その後、荻村氏が国際卓球連盟の会長に立候補したときも、
彼は世界の卓球界のレベルを底上げし、世界中の卓球界を活性化し、
各国内での卓球の地位を向上させたい・・・という“思いの強さ”を知り、
私は、協会内のコンセンサスを得るため、徹底的に支援させて貰った。
その後、私は1975年迄、ナショナルチームの監督を引き受けたが、
「中国だけには、絶対負けたくない」という“思い”でやってきた。
1972年の第一回アジア選手権大会(於 北京)で、
長谷川信彦、河野満、田阪登紀夫というメンバーで中国に勝ち、
1973の世界選手権大会(於 サラエボ・ユーゴ)で、4:5の大接戦の末、
勝ち損なって以来、日本は団体戦で中国に負け続けているのが現状である。
その後、母体に戻り、明治軍団で世界を制覇したい・・・と強く思い
“明治がやらねば誰がやる。打倒中国”という標語を掲げて、選手と共に努力し、
一時は、今一歩のところまで、近づいたが、未だに果たせずにいる。
以前、松下幸之助(松下電器 創業者)さんに、ある人が質問した。
「成功のコツとはどうすればいいのですか?」と聞いたところ、
松下さんは「成功させようと思わないけまへんなぁ」
とさらりと答えられたそうだ。
何故、松下さんは、そのように簡単に言われたのか、
それは、「思い」に込められた強力なエネルギー、
いわば、「思いの強さ」というものの偉大さ・・・を知っていて、
松下さんは、「こうしたい」、「ああしたい」ということを常に考えておられて、
「思う」ことが習い性として身に染み付いていたから、
「思わないけまへんな」という単純な答えになったのだ。
それ程「思う」ということが、ごく自然に日常の行為になっていたから、
その「思い」を実行し、それが、実を結んであのようなナショナル(松下電器)という
立派な会社を築き上げていったのだと思う。
松下幸之助さんのこの話を聞いて、私は「思い」というものには、
あらためて、恐ろしいほどのパワーが秘められていると思い至った。
まさに『どういうことを思うのか』、
その思いによって人生は決まっていくのだろう。
私は、現在の会社を起業するとき、大きな夢を抱いた。
今、その“思い”が具体的な目標となってきた。
人は皆、様々な人生を経て、今に至っているわけだが、これから先の人生というものは、その人が今現在からもつ「思い」によって変えることができるのだ。
この「思い」がすべての根源である。
人生とは「思い」を綴っていくもの
何を思うかで、人生は決まっていくのである。