思いの強さ (100号記念)
1996年2月に「今月の言葉」を書き始めた。
明大スポーツ新聞の記者が、この「今月の言葉」を評して、
連覇支えた一枚の架け橋、“行間に思い溢れる”
兒玉総監督と部員の心は、この一枚の紙で、しっかりつながっている。
と記事に書いた。
そして、今月が丁度100号という私にとっては、記念すべき「今月の言葉」となった。
振り返ってみれば、「随分、いろいろな角度からいろいろなことを書いてきた。
自分自身の「思い」が、君達の卓球の道を極めるための指針となったり、或いは、
学生生活を終え、社会人となって新しい人生を歩む上での参考になれば、
これ程嬉しいことはない・・・という思いで、今も書き続けている。
さて、今月は“思いの強さ”について私の経験を語ることにしよう。
私が、初めて世界選手権・日本代表選手団の監督を荻村伊智朗氏と共に
指名されたのが、1965年のリュブリア大会(ユーゴスラビア)である。
当時の私は、兄と共に起こした会社が、まだヨチヨチ歩きの状態だったので、
引き受けるかどうか、大いに迷っていた。
そんな状況のとき、荻村氏が突然、朝早く我が家に来て、
「日本卓球界のために一緒にやろう。是非引き引けてくれ」と口説かれた。
私は彼の情熱に感動した。兒玉29歳、荻村氏、31歳のときだった。
その時の選手は、(男子)、木村興治、高橋浩、小中健、野平孝雄
(女子)、関正子、山中教子、磯村淳、深津尚子(いずれも旧姓)というメンバー。
この選手団は、日本卓球界の歴史に残る質の高い、厳しい訓練をこなし、
ハイレベルなチームワークだった。
この時、合宿、試合を通じて、半年以上に亘り、荻村氏と起居を共にして
卓球の真髄、奥深さ、物事に打ち込むことの素晴らしさを心底から味わった。
又、荻村氏の理論に裏打ちされた心・技・体の眼力を肌で感じ、学ばせて貰った。
それは、“思いの強さ”からくる努力であり、向学心であることを知った。
私も現役時代、荻村氏と同じ位の“思いの強さ”があれば、世界の一流選手として
活躍できたのではないかと、つくづく反省し、残念に思ったものである。
この大会は、金メダル2個、銀メダル2個、銅メダル1個という成績だった。
終了後、10ヵ国程の招待に応じ、各国を遠征した1ヶ月ほどの間、
日夜、日本卓球界の将来について話合った。
この侭では、日本はどんどん中国に離されてしまう。今のうちに抜本的な対策が必要だ、強化対策本部を作るべきだという結論になった。
帰国後、日本卓球協会の理事会で、最も若い理事だった私は、
向こう見ずな情熱をぶつけて、強化対策本部の設置を提唱し、多くの反対を押し切って、成立させることが出来た。
(当時の荻村氏は母体の関係がなく理事ではなかった)
この強化対策本部が挫折することなく、健全に機能していたら、
日本の卓球は世界の雄として、継続して世界をリードしていたのではないかと
残念に思う。
その後、荻村氏が国際卓球連盟の会長に立候補したときも、
彼は世界の卓球界のレベルを底上げし、世界中の卓球界を活性化し、
各国内での卓球の地位を向上させたい・・・という“思いの強さ”を知り、
私は、協会内のコンセンサスを得るため、徹底的に支援させて貰った。
その後、私は1975年迄、ナショナルチームの監督を引き受けたが、
「中国だけには、絶対負けたくない」という“思い”でやってきた。
1972年の第一回アジア選手権大会(於 北京)で、
長谷川信彦、河野満、田阪登紀夫というメンバーで中国に勝ち、
1973の世界選手権大会(於 サラエボ・ユーゴ)で、4:5の大接戦の末、
勝ち損なって以来、日本は団体戦で中国に負け続けているのが現状である。
その後、母体に戻り、明治軍団で世界を制覇したい・・・と強く思い
“明治がやらねば誰がやる。打倒中国”という標語を掲げて、選手と共に努力し、
一時は、今一歩のところまで、近づいたが、未だに果たせずにいる。
以前、松下幸之助(松下電器 創業者)さんに、ある人が質問した。
「成功のコツとはどうすればいいのですか?」と聞いたところ、
松下さんは「成功させようと思わないけまへんなぁ」
とさらりと答えられたそうだ。
何故、松下さんは、そのように簡単に言われたのか、
それは、「思い」に込められた強力なエネルギー、
いわば、「思いの強さ」というものの偉大さ・・・を知っていて、
松下さんは、「こうしたい」、「ああしたい」ということを常に考えておられて、
「思う」ことが習い性として身に染み付いていたから、
「思わないけまへんな」という単純な答えになったのだ。
それ程「思う」ということが、ごく自然に日常の行為になっていたから、
その「思い」を実行し、それが、実を結んであのようなナショナル(松下電器)という
立派な会社を築き上げていったのだと思う。
松下幸之助さんのこの話を聞いて、私は「思い」というものには、
あらためて、恐ろしいほどのパワーが秘められていると思い至った。
まさに『どういうことを思うのか』、
その思いによって人生は決まっていくのだろう。
私は、現在の会社を起業するとき、大きな夢を抱いた。
今、その“思い”が具体的な目標となってきた。
人は皆、様々な人生を経て、今に至っているわけだが、これから先の人生というものは、その人が今現在からもつ「思い」によって変えることができるのだ。
この「思い」がすべての根源である。
人生とは「思い」を綴っていくもの
何を思うかで、人生は決まっていくのである。