高橋浩氏に学ぶ(卓球日誌の重要性)

2007/3/01

昨年3月末から4月初旬にかけて、
日中スポーツ交流50周年を記念する行事に参加するため、訪中(北京)した。
中国としては50年前の世界選手権東京大会への参加が
民間スポーツ交流としては初めてのことだった。
その歴史を振り返り、50周年を祝うと共に、
今後の交流の歴史の積み重ねへ期待をつなぎたい、ということでまさに国賓級の歓待を受けた。
現在、副総理格の唐家璇国務委員が我々と1時間以上も楽しく会談したり
「人民大会堂」での祝賀行事やテレビ番組制作のため
中国中央テレビ局のスタジオで交歓会も開催された。
政治や外交問題にはとらわれない、このような絆が
世界平和の一助になれば・・・と卓球が果たす役割の大きさを
改めて認識したのである。
そのテレビ撮影の折、高橋浩氏と荘則棟(‘61’63‘65と三回連続世界チャンピオンとなり
世界卓球史上、現在まで破られていない)に対して中国のアナウンサーがインタビューした。
(高橋選手は世界でただ一人荘則棟選手に勝ち越した(3勝1敗)選手。)
「荘則棟に勝ち越していましたが、それはどう戦ったんですか」との質問に対して
高橋氏は
「私は荘さんとは、イメージの中で500回は試合をして勝っていましたので
自分としては503勝1敗という感じです」と答えていた。
高橋選手は現役時代、卓球日誌を2ヶ月に大学ノート1冊分、
毎日書いていたそうだ。
年に6冊、5年間で30冊以上になっていたという。
以下は彼の言葉である。
選手時代は、いつもメモをつけていた。
そのメモは、全日本の代表になる前と代表になった後とでは全く違う内容だったという。
代表レベルになるまでのメモは、戦略・戦術よりも、挫けそうになる自分を励ますメモだった。
代表になってからは、先輩、同輩、後輩等との話の中や、本の中から感じたものを、
まとめた考え方をメモしたり、具体的な相手との戦い方のメモが多かった。
卓球は相手との距離が近い対戦ゲームだから、勝負は瞬時に決まる。
それゆえ、サービス、3球目、5球目、レシーブ、4球目ぐらいまでのシステム練習に
集中することが求められた。訓練は100%、そのための技術習得のためだった。
重要なヒントは、この訓練中に得られることが多かったので、卓球台の下に、
常時メモ用紙とペンを置いていた。
私の現役時代、最強の相手は、中国であり、対戦相手としては、
特に、荘則棟と張燮林選手との試合を常にイメージして練習した。
彼らには勝つことができたとしても、ストレートで勝つのは非常に難しいことなので、
最終セット目で勝つことを前提として考えた。
そのため、取られたセットの負け方が重要であると考えに考え抜いて、工夫した。
電車の中は格好のイメージ練習場であった。
イメージ練習を意識的に実行したのは、体力的に、また技術的に自分は
他の一流選手に比べ劣っているという認識を常に持っていたためである。
日中スポーツ交流50周年 北京訪問記 高橋氏の原文の一部を抜粋
40年ぶりに、昔の仲間に会った。
顔をジッとみていると、そのフォーム、スタイルが鮮やかに蘇ってきた。
不思議なものである。激しく闘志を燃やして対戦した相手が、なぜかとても懐かしい友に思えた。
中国における卓球の地位の高さ、認知の高さは想像以上であった。
それだけ、昔の友は真に国家を背負い国家に貢献したのであろう。
それだけ要求される度合いは、高く、厳しく、凄いものであったろう。
我々は、フェアプレイの精神とか、スポーツマンシップとか、人間文化の向上とかに
ベースをおいて卓球を考え練習し、対戦したが、彼らは全く違った次元で考え、
プレイしていたのであろう。
それでも多分必死さの部分では、共通で、同レベルであったのであろう。
だからこそ、昔の仲間に再会したとき、思わず涙が溢れ出たものと思われる。
いずれにしても今回の中国訪問はすばらしいものであった。