村田修一選手(野球)に学ぶ』(やはり基本が重要)

2009/7/01

3月に行なわれた、ワールドベースボールクラシック(WBC)
日本チームの4番打者として活躍した村田修一選手は、
決勝直前に怪我をして帰国し、優勝の瞬間に立ち会えなかったが、
悔いは無いと言っている。
「今回のWBCは、プロ野球選手として、自分がどれだけの長打力を
国際大会で見せることができるかということでした。
『中軸として野球をやりたいが、自分のスタイルは変えない』と公言し、
実際に使って貰い、それに応えるだけの成績を残せたと納得しています」
と語る村田選手。
そう語るのは、村田選手には北京オリンピックでの苦い経験があるからだ。
「チームの掲げていたスモールベースボール
(バンドなどの小技を重視した野球)をやらなくてはと思いこんでいたんです。
迷いと普段やらないことをやろうと意識しすぎて、
自分にも120%を求めていました。
結果、自分の持つ半分以下の力も出せなかった」という。
北京から帰国しチームに合流したとき、
若手選手に「村田さんの打撃が小さくなっている」と
指摘されたという。
「いつもは打撃について語らないその彼が指摘するほどですから。
自分はあそこに何をしにいったのだろうと後悔しました。」
そんな思いを忘れず、2年連続ホームラン王の実績を携え
WBCへ向かった村田選手。
お山の大将で、常にエースで4番でキャプテン。高校でもエースで3番、
甲子園にも出場した村田選手、春の1回戦では大舞台で完封の経験もした。
そんな彼が、初めてかなわないと感じたのが松坂大輔だという。
「カルチャーショックでした。『格が違うな』と思いました。
野手になろうと思ったのは彼のおかげです」と笑う。
大学に入ったのも、野手を勉強してからプロに入ろうと思ったからだ。
それでプロになれなかったら、自分はそれだけの選手だと思えばいいと。
最初はがむしゃらにバットを振り、オールナイトで
バッティング練習をしたこともあった。
「こんなにバッティング練習できるのか、
こんなにバットって振れるものなのか」
と思うほど練習もした。ところが
、疲れれば疲れるほど、良い打ち方ができたという。
「今思えば、そこを越えなければ、
いいスイングにたどり着くことは
できなかったと思います。地味で昔ながらの方法でしたが、
技術はプロに入ってからしっかり教えて貰っても
遅くはないと思っていましたから」
「人にないところをアピールしたい、そしてそこを伸ばすことを、
常に考えています。短所とかを削っていくのは、
その後でも十分じゃないですか」
「もっとうまくなりたい、人に負けたくないと、
常に思っています。」  
「チームで4番を打たせて貰っていても、
「チャンスで打てなければ4番として失格」と、
自分に重圧を掛けながら打席に入ります。」
自分自身にプレッシャーを掛ける。
それが自分を高める方法だと思っている。
健康な体に感謝して、自分に与えられた役目を
精一杯果たすべきだ。それを見据えて、
自分自身と勝負していかなければいけないと思う。
まず自分の役割を果す。
何かをさせてくれる環境ほど、ありがたいものはない。
そのことを感謝する気持ちと素直さを
持ち続けることが大切です。
そして「チャンスはみんな平等にあると思います。
だから、いつか来るチャンスを我慢して待てるか、
それが勝負です。」と語っている。
                  NISSAY「経営情報」より抜粋
人間である以上、大半の人は
「自分の器を大きくしたい」
「大木になって花を咲かせたい」と
願っているものです。
そのためには、自らの根っこを育てることが重要。
心も技術も体力も基本が大切だということです。
「もっとうまくなりたい。人に負けたくない、
自分にプレッシャーを掛ける・・・」という
基本の精神力強化。
「こんなにバッティング練習ってできるのか・・・」
「疲れれば疲れるほど良い打ち方ができた・・・」という、
基本の体力強化と技術の習得。
体力に限界があると、技術にも限界が出来る。
体力の限界が伸びれば、
技術の限界が自分でも驚くほど伸びるものである。
自分の身になって解読すれば、
すばらしく参考になる話の数々であると思う。