感動の思い出

2016/7/01

『感動の想い出』

1997年頃、メリルリンチ社日本法人の社長から、郷里の出雲市の市長に転身した、
岩國哲人さんと親しくお付き合いさせていただいていた頃、
次のような逸話をお聞きしました。

『心を結ぶ 一本のロープ』
島根県出雲市では、毎年2月に、「くにびきマラソン」を開催しています。
ある日市長さんに、一本の電話が入りました。
「市長さん、わたしも今度のマラソン大会に参加したいのですが」
「どうぞ、どうぞ、全国から参加されますよ」市長さんは、そう答えました。
でも、びっくりしたのは、次のひと言でした。
「私は全く目が見えないんです・・・。」
「・・・。」市長さんは一瞬言葉につまってしまいました。

ただでさえ、マラソンコース10キロを走り通すのは大変なのに・・・。
どうしたらよいものか考え込んでしまったのです。
そうだ伴走者だ!ロープを持って道案内しながら、
目の不自由な人といっしょに、歩調を合わせて走ってくれる伴走者がいてくれたら・・・。
まずは捜してみよう。
さっそく市役所の中で、伴走できる職員がいるか捜してみるように指示を出しました。

次の朝、報告がありました。
「市長、5人見つかりました」
「みんな10キロ走れるのか」
「だれも10キロ走れません」
「走れないのが5人もいてどうするのだ」市長さんはがっかりしました。

ところが、伴走を希望したゴミ収集課や、給食センターの職員たちはこう言ったのです。
「みんな、10キロは走れないから、1人2キロずつ走ります。5人で力を合わせたら、
10キロ走れます。参加したいというその方の気持ちを大切にしたいのです。」
これを聞いた市長さんは、伴走は一人でやるものだと思い込み、
半分あきらめていた自分が恥ずかしくなりました。
そして、5人の気持ちと知恵に感動して、涙が出そうになりました。

5人は、その夜から練習を始めました。
1月、2月の凍りつくような寒い夜、暗い道に吐く息だけが真っ白です。
仕事を終えて、疲れた体で毎晩練習をしたのです。

一人が目隠しをし、一人がロープの片方を持って、
「坂ですよ。」「右に曲がりますよ。」と、誘導しながら走る練習です。
(どんな言葉をかけたらいいのか)(腕振りのタイミングはどうなのか)
相手に気持ちよく走ってもらうことだけを考えて、練習にはげみました。
本番と同じコースを、本番と同じように説明しながら、何度も何度も走ったのです。

2月11日、マラソン大会の当日がきました。
そこには、目の不自由なランナーと一緒に、5人が交代で伴走する姿がありました。
そして、見事に、ゴールイン。
出雲市のマラソン大会で、初めて、全盲のランナーが誕生した瞬間でした。
’92年2月に、愛知県の半谷展男さんが走ったときの実話が、
以上のような短いエピソードにおさめられている。

【この話しを聞いた小学生からの手紙です】

ぼくは、市長さんのお話を聞いて、一番心に残ったのは、『5人のランナー』のことでした。
ぼくも、くにびきマラソンに出たことはあるけど、すごくきつかったです。
特に、坂のところがきつかったです。目の見えるぼくでも、マラソンは大変なのに、
目の見えない人が、走ろうと思っただけでも、すごいなあと思いました。
ぼくが、目が見えなかったら、絶対走ってないと思います。
ちょっと目をつぶって歩いただけでも、怖くて、ふらふらしてしまうからです。
くにびきマラソンに、挑戦した目の見えない人は、すごく勇気があるなあと感心しました。
また、伴走をした5人は、とってもやさしい人だなあと思いました。
たとえ5人で替わりばんこでも、「やってあげよう。」と、思う心がすごいなと思いました。
ぼくも、大人になったら、困っている人を手伝ってあげる人になりたいと思いました。
あの『5人のランナー』のように。

私は当時、この話を聞いて非常に感動し、メモを残しておきました。
古い資料に目を通していて、この話しに目がとまり、改めて感動を覚えた。

全盲のランナーの熱意と、やる気と、行動力、そして、市長の判断。
5人の職員の「思いやりの心」 「知恵と対応力」 「実行力」 
凍りつくような暗い夜道で、実践さながらの訓練に耐え抜いた「意志の力」など、
学ぶことの多い逸話であったので、語録として残したいと思いました。