水谷選手の4連覇に思う

水谷隼選手、全日本単複4連覇おめでとう。 今回は、ドローが決まった時から、水谷のシード側に強豪が集まり、 かなり厳しい組合せとなった。そのために、却って気持ちが引き締まり、 精神的にも充実した準備が出来たのではないかと思う。 正月元旦の明大合宿所でのミーティングでも、

水谷の醸し出す雰囲気はいつもと違っていた。

オーラを感じた私は、「水谷は今年も勝つ」と確信できた。 それにしても、周囲からの期待と4連覇の実現に向けた不安と

プレッシャーによく耐え、勝ち抜いた。 特に、準決勝 張一博選手との試合は、

お互いに死力を尽くした素晴らしい内容だった。 5ゲーム目の7-9、あと2点で敗退という場面で、

タイムアウトを取り、気持ちを切り替えて、 思い切った攻撃が出来たという事は、

すごい精神力で賞賛に値する。本当に素晴らしかった。

張選手も、この試合が彼の卓球人生の中でも 最高の部類に入る内容の出来だったのではないだろうか。 「このような試合は、永久に終わってほしくない」と思えるような、

卓球の醍醐味を味合わせて貰い、

観る人に感動を与えてくれた事に感謝したいと思う。

両選手に心から拍手を送りたい。

さて、これからの水谷選手は、世界に向けて

再出発しなければならない。世界ランク10位となり、

完全に世界のトップクラス同士の争いの仲間入りをしたわけで、 この戦いは、もっともっと厳しく、一点でも疎かに出来ない戦いとなる。 今回の張戦の1ゲーム目、7ゲーム目での10-6からの

詰めの甘さは、絶対に許されない、大きな課題である。

「相手はどうして自分に負けたのか」

「自分は何故勝つことが出来たのか」 ということを、しっかり反省して、今後に活かして欲しい。 世界での厳しい戦いに耐え得る体力を鍛え、

イメージ力精神力をもう一段高いレベルを 目指して、努力することを期待している。

私は2年半後のロンドンオリンピックで、

水谷選手が一番真ん中の表彰台でメダルを受取り、 日の丸が上がるのを見ながら、「君が代」を口ずさんでいる

イメージが出来上がっている。「君なら出来る」と確信しているのである。

昨年12月、日本ボクシング協会の理事会があり、

元世界チャンピオンの大橋秀行氏が会長になることが決まった。 大橋氏は、私の親友であるヨネクラボクシングジム会長の

米倉健司氏の教え子である。 1980年代後半の日本ボクシング界は、暗黒の時代で、

日本人世界王者は不在。

世界タイトル挑戦者21連敗という時代だった。 「100年に一人の天才」といわれた大橋氏は、

自身3度目の世界挑戦で勝ち、 WBC世界ミニマム級チャンピオンとなり、

その不名誉な記録に終止符を打ったのである。 その後、日本のボクシング界は息を吹き返し、

辰吉丈一郎、鬼塚勝也、川島郭志の 三羽ガラスといわれた世界チャンピオンを生み出し、数々のスターが輩出した。

このタイトルマッチの直前に、

川島郭志が掛けてくれた二つの言葉があり、 大橋秀行が今でもはっきり覚えているエピソードがある。 一つ目は、試合の一週間程前、合宿から目白の

ジムに向かうバスの中で、「世界戦頑張ってください」と

珍しくファンに声を掛けられた。 現役の世界チャンピオンでもない限り、

プロボクサーの知名度などほとんど無く、 街で声を掛けられることなど、まず無いのである。 その時、驚いた表情の大橋に川島は言った。 「あと1週間、1週間経ったら、

大橋さんは世の中の誰もが振り返る存在になるんですね」 「そうかぁ」と大橋は心の中に光の道が見えた気がした。 次のもう一言は、試合の当日、夕方である。

ホテルから試合場の後楽園ホールに向けて 歩き出した大橋のバックを手にして、川島が言った。 「あと3時間ですね。いよいよ、いよいよ大橋さんは

世界チャンピオンになるんですね」 その時もやはり、大橋の心に走った答えは

「そうかぁ」。明るい光と思いが弾んで見えた。

この川島郭志は、のちにWBC世界スーパーフライ級チャンピオンとなった。 インターハイで優勝した後、ヨネクラジムに入門した。 米倉は、その将来性を見越し、

世界タイトルマッチに至る公開スパーリング、検診、 調印式などのセレモニーを体感させるために、

大橋の付き人につけたのである。

大舞台を前に、大橋の心中も、希望と不安の間を行きつ戻りつしていた。 技術・体力・対策・長く苦しいトレーニングを積み、

自分を信じていても、勝負師の宿命に苛まれていた。 そんな大橋が、付き人の川島の言葉を真っ直ぐに

受け止めたのである。(ボクシングマガジン09.8月号)

この川島郭志はその後、素晴らしい世界チャンピオンとして、

6度の防衛を果たし、抜群の人気を博した。

私も彼の試合は何度も見てきたし、引退後には結婚式にも招待され、 お祝いの挨拶もさせて頂いた。

私はこの時の大橋選手と水谷選手がダブって見えて仕方がない。

日本人挑戦者21連敗を救った大橋秀行。

‘79年の小野選手以来、

30年間世界チャンピオン不在の日本卓球界。

‘50年代、世界の卓球界に君臨した荻村、田中選手以上の才能に

恵まれていると思われる 水谷準が、この長いトンネルを抜け出し、

日本卓球界に光を与えるのはもう間近に来た・・と 私は確信している。 そして、大橋の付き人となって、後に最強の世界チャンピオンとなった 川島郭志のような選手になるのは、明治の選手の中の誰であろうか。 今、私の夢は大きく膨らんでいる。

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