上村春樹氏に学ぶ

上村春樹氏は、この4月に柔道の創始者:嘉納治五郎が

1882(明治15年)に創設した講道館館長に就任、

嘉納家とその親族以外では初めて就く重責、そして同時に 全日本柔道連盟の会長にも就任した。 その就任のパーティで、私は次のような挨拶をしました。

「上村さん、講道館館長、全柔連会長就任おめでとうございます。 と申し上げてよいのか、ご苦労の多いことと思います。 この重責を担って、上村さんの信念と明るさで、

柔道界を引っ張っていって頂きたいと思います。

世界のスポーツ界のあらゆる競技の中でも、

最も礼節を重んずる柔道、小よく大を制す柔道、

素人の我々が見ても、解り易い「一本勝ち」の柔道、 これらのことがJUDOの普及と共に失われてきて、

オリンピックの決勝などでも 「え?何故これが金メダルなの?」と、

こんな大きな舞台で金か銀の分かれ目が理解できず、

興味が薄れてしまうようなことが多くなっています。

上村さんが、このような傾向に、歯止めを掛け、

真の柔道の普及に努力され、是非、誇りと自信を持って、

柔道界は勿論のこと、世界のスポーツ界をリードして下さい。 そして、スポーツを通して機関車となり、

人間の文化の向上に寄与されることを、心から期待しております。

是非、今後の大活躍を祈念しております。」    ・・・後略

上村春樹さんは、1976年モントリオールオリンピックで、

日本柔道界の悲願だった無差別級金メダルに輝いた。 当時は174センチ、108キロ、小よく大を制すお手本だった。

講道館は世界に指導者を派遣したり、

柔道の普及に努めるのが仕事、

全柔連は競技団体として強さを求められる。強くなり、

勝つためにやること。車の両輪のごとくやっていき、

世界に貢献する

「嘉納師範は世界に広める時に、競技面だけでなく、

教育の一環として柔道を捉え、 礼儀を重んじた。礼をしないとオリンピックでは反則負けになる。 そういう条文が入っているのは、柔道だけでしょう」

また競技面では「相手の首を絞めていいという競技は他にない。 相手が関節を取って参ったをしないと折ってしまう。 ですから、競技の場で試合を成り立たせるに礼は不可欠です」

「有効や効果は、何個集めたって一本にはならない。 最近、世界でもやっぱり一本取らなきゃだめだ」と言い始めた。 欧州でも「技あり」廃止論が出た時、 「投げて一本というのは、

実はこれで死ぬことだと理解してくれ。 畳の上で受け身をするが、ダメージがないと一本ではない。 技ありが2つで一本になるというのは、

要するに投げたけど少し足りなくて 瀕死の重傷を負った。でもまだ生きている。

もう1回投げたら、トドメとなって死ぬ。 だから一本なんだ」 柔道の投げ技で、真の“一本”の定義を、こう解説する。 「昔、我々が戦った時の技ありというのが、今は全部一本です。 それくらい、一本の値打ちが下がりました。

一万回で覚えた技と、百万回やって覚えた技とは違うんです。 柔道の最高峰を目指す者は、 「オリンピック、世界選手権、全日本選手権」の三タイトルが目標。 すべて獲得した選手は、現在まで7人。 「この中で私が一番弱いです。」でも「弱いから負けるんじゃない。 僕らが負けるのは、予想しなかったことに遭遇して

対応を間違うからです。」

「現役時代は本当におもしろかった。この試合で自分を高め、

強くなろう。自分の技を完成させようと思ってやった。」

人の二倍、三倍は無理としても、毎日20分だけでも

余計に練習しようと考えた。一日20分の練習は、

年間では120時間。一日3時間練習するとして、実に40日分だ。 体育会の一年生は、先輩の世話がある。自分の時間は余りない。

電車の中で、つま先立ちをするなど、あらゆる機会をとらえて、 来る日も、来る日も、自分のためになる練習を続けた。 そして、創意工夫をしながら、毎日最悪の場面を想定しながら、

自らを追い込んで練習した。

「負けた時、これまでやってきた自分を慰めるのか、

それとも、どこが悪かったのか・・・と考えるのか、

ここで差が出る。」 「結局はヤル気の有る無し。強くなるには、

目標意識を持つこと。 自分の限界を勝手に決めるのは、一番良くない。 疲れた後の一踏ん張りが、本当の稽古になる。」 と彼は言っている。 その結果、日本に初めての無差別級の金メダルを

もたらしたのである。

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