​第2回(2019年)未来のいしずえ賞 スポーツ部門

​スポーツ部門 受賞者

Yasuhiko Kodaira・Mitsuko Kodaira

小平安彦 ・ 小平光子 夫妻

(スピードスケート選手 小平奈緒の両親)

スピードスケート選手 小平奈緒 が幼い頃から「自分で考えて、発見する」ことを指導。
両親の教えが平昌五輪の金メダルの原点となった。

(コダイラ ヤスヒコ)1955年生まれ。
「私は生来運動が苦手で勉強はもっと駄目でした。そんな中で子どもたちには何でもいいから好きなこと夢中になれることを見つけてほしいと思いました。好奇心を育ててあげることが大事で、それには行動の面でも気持ちの上でも決して子どもの前を歩かない。あとで取り返しのつく失敗なら、あえてやらせてみる。そして“知るを楽しむ”という歯車がゆっくりと回り始めるまでじっと待つ。なるべく遠くから見守る。
今まで生きてきた中で子どもに教えたことよりも、どんな些細なことでも教えてもらったことのほうがはるかに多いのです。気がついたら親の前をどんどん歩いて行き、追いかけていくのに精一杯でした」


(コダイラ ミツコ) 1955年、愛知県生まれ。結婚して長野県茅野市に住み、3人の娘に恵まれる。
「豊かな自然の中で土をいじり、花を植え、野菜づくりを覚えました。そんな中での子育ては、ありがたいことに私の気持ちを和らげてくれる時間となっていたと思います。子どもたちが大人になって生きてゆく力を持てるようにと願いながら見守り、一番の応援者でいたいと思っておりました。家庭では主人との“コーヒータイム”。毎日子どもたちが眠ったあとに“一緒にいる時間を作ること”。コーヒーをいただきながら今日の出来事を話す。小さなことですが、私が大切にしてきたことのひとつです。そんな幸せなひとときが今も続いています」

​推薦人 橋本聖子

参議院議員

参議院自由民主党議員会長

公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会理事

公益財団法人日本スケート連盟会長

推薦のことば
小平選手は、身体能力や技術が優れているだけでなく、人間として金メダルにふさわしい選手だと思います。
これまで、他者にはうかがい知ることができない高みを追い求めて、ひたむきに自分の信じた道を進んできました。
深く思考し、限界まで努力したからこそ、感謝の心を持ち、ライバルに対しても素直でまっすぐな目を向け、謙虚に振る舞うことができるのだと思います。彼女を育んだご両親に、心から敬意を表し、感謝いたします。

 

​第2回(2019年)未来のいしずえ賞 医療部門

​医療部門 受賞者

Michiyo Arita

有田 美智世

(NPO法人さい帯血国際患者支援の会理事長)

長年にわたる市民運動による医療への貢献とiPS細胞を用いた再生医療の要となる「さい帯血由来iPS細胞ストック」への貢献。

(アリタ  ミチヨ) 1947年鹿児島生まれ。1988年公的骨髄バンクを求める運動をはじめる。
1990年「骨髄献血希望者の会」代表。1991年「公的骨髄バンク」設立。同年「臍帯血バンク」設立への活動をはじめる。
1994年5月「日本さい帯血バンク支援ボランティアの会」発足。代表をつとめる。
1998年1月より厚生労働省臍帯血移植検討委員。同年神戸新聞「社会賞」受賞。
2008年「NPO法人さい帯血国際患者支援の会」設立。

​推薦人 山中 伸弥

京都大学iPS細胞研究所所長、教授

iPS細胞研究所の前にて

撮影:2017年5月
京都大学iPS細胞研究所

推薦のことば

有田 美智世さんは、骨髄献血の推進や公的骨髄バンクの設立のための運動、さい帯血移植への保険適用、公的バンク設立を目指した運動を、長年にわたり一貫して市民の立場から続けてこられました。
こうした献身的な市民運動は、京都大学iPS細胞研究所がさい帯血からiPS細胞を作るための社会環境整備にも繋がりました。現在、弊所では再生医療をより迅速・より安価にするための「iPS細胞ストック」の材料として、末梢血だけでなくさい帯血も活用させていただいております。有田さんにさい帯血由来のiPS細胞ストック作製を後押しいただいたことへの感謝と、長きにわたる医療への多大な貢献への尊敬の気持ちを込めて、ここに推薦させていただきます。

 

 

​第2回(2019年)未来のいしずえ賞 保健福祉部門

​保健福祉部門 受賞者

Yoshiteru Mutoh

武藤 芳照

(東京健康リハビリテーション総合研究所所長、日本転倒予防学会理事長)

超高齢社会を迎える日本で、寝たきり予防のための重要な方策である転倒予防法の普及・啓発に長年にわたって努める。

(ムトウ ヨシテル) 1950年 愛知県大府市生まれ。愛知県立刈谷高校卒業。
1975年 名古屋大学医学部卒業後、東京厚生年金病院整形外科医長を経て、1981年より東京大学教育学部助教授、1993年同教授、1995年同大学院教授、2009年4月より 同研究科長・学部長。
2011年4月より 東京大学理事・副学長・東京大学政策ビジョン研究センター教授。2013年4月より 日体大総合研究所所長等を経て、2018年4月より 現職。東京大学名誉教授。
2004年4月 「転倒予防医学研究会(世話人代表)」がスタート、2014年4月 「日本転倒予防学会(理事長)」を発足。

​推薦人 水谷 八重子

女優、歌手、エッセイスト / 日本転倒予防学会名誉会員長

​推薦人 岡山 慶子

株式会社朝日エル会長

推薦のことば(水谷 八重子)

昔は「人生50年」と申しましたが、今やその倍も長生きの人生でございます。
50年人生が伸びて果たして幸せでございましょうか?
決してすべてが幸せだとは思えません。
生きて、歩いて、踊ってみたり、歌ってみたり、お料理をしてみたり・・・。
行動があってこその幸せなのではないでしょうか。
年をとっても動けることが、幸せ!行動出来ることこそ幸せ。
うかつにつまずいて、ヨロッと転ぶ。
意外と大事になる恐れがございます。
幸せが逃げて行ってしまうことになりかねません。さあ、転ばぬ先に、ご用心、ご用心。
そういうわけで、転倒予防の大切さとその方法を長年にわたって世に広めてこられた武藤芳照さんを、ここに推薦させていただきます。

 

 

​第2回(2019年)未来のいしずえ賞 教育部門

​教育部門 受賞者

Miho Hara

原 美穂

(青山学院大学体育会 陸上競技部 町田寮寮母)

青山学院大学陸上競技部の寮母として、選手や監督を生活面、精神面で支え続けてきた。

(ハラ ミホ) 1967年、広島県広島市生まれ。夫は陸上競技部監督原晋
結婚後は夫と広島で生活していたが2004年晋氏の監督就任に伴い、東京都町田市にて陸上競技部寮母になる。
寮母という経験は未経験のなか夫とともに寮に住み込み、監督は競技、自身は生活を担当とし、寮母としてゼロから寮のルール作り、選手のサポートを行う。
現在も寮に住み、大学駅伝強豪校となったチームを支え続けている。

 

青山学院大学陸上競技部(年度表記)
2008年 33年ぶりの箱根駅伝出場
2012年 出雲駅伝初優勝
2014年 箱根駅伝初優勝
2015年 箱根駅伝、出雲駅伝優勝
2016年 大学駅伝3冠。
2017年 箱根駅伝4連覇。
2018年 出雲駅伝、全日本大学駅伝優勝

 

​推薦人 平田 竹男

内閣官房参与 /

内閣官房東京オリンピック・パラリンピック推進本部事務局長 

早稲田大学大学院 スポーツ科学研究科教授

推薦のことば

原美穂さんは、2004年、夫の原晋氏が青山学院大学陸上競技部の監督に就任すると同時に、同部町田寮の寮母を務めてきた。栄養・健康管理をはじめ、ストレスのない環境づくりを心がけ、ひとりひとりの個性に合わせて褒めたり叱ったり、ハッパをかけたりと、学生たちのメンタルサポートも一手に引き受けている。長らく箱根駅伝の本戦に出られなかった陸上部が、2009年に本戦出場、2015年の初優勝を経て、2018年に箱根駅伝大会で総合四連覇を達成するまでに至ったのは、原晋氏の指導だけでなく、寮母・原美穂さんの愛情あふれるこまやかなサポートが果たした役割が大きいと言える。駅伝の成績だけでなく、人間として大きく成長するこの時期の学生に、長年にわたり献身的に尽くされてきたことを踏まえて、ここに推薦させていただく。

 

​第2回(2019年)未来のいしずえ賞 社会活性化部門

​社会福祉部門 受賞者

Yasuko Kanazawa

金澤 泰子

(書家、久が原書道教室主宰、書家 金澤翔子の母)

ダウン症の娘、金澤翔子 さんを5歳の時から指導、翔子さんに書の道を開き、書家として育て上げ、我が子が自立できるよう二人三脚で歩んできた。

(カナザワ ヤスコ) 1943年生まれ、1966年 明治大学卒業、1977年 書を柳田流家元に師事、1985年に 翔子誕生、1990年 東京に書道教室開設。
著書に「愛にはじまる」(ビジネス社)、「天使の正体」「天使がこの世に降り立てば」(かまくら春秋社)、「翔子・その書」(大和書房)、「翔子」(角川マガジンズ)、「涙の般若心経」(世界文化社)、「心は天につながっている」(PHP)、「金澤翔子」(平凡社)など。
現在、久が原書道教室主宰。

​推薦人 澤 和樹

東京藝術大学 学長

推薦のことば

金澤泰子さんは書家、金澤翔子さんのお母様です。ご自身も書家である泰子さんはダウン症の娘・翔子さんが5歳になったときに、友達を作れるようにと書道教室を開講されました。「孤独に耐える強い子に育ってほしい」との思いから10歳になった翔子さんに般若心経の写経をさせ、翔子さんは、泰子さんの厳しい指導に泣きながらも耐えました。翔子さん、泰子さんの二人三脚での頑張りで、今や金澤翔子さんは、日本を代表する書家の一人に育ち、また、私生活でも一人暮らしを始めるなど、ダウン症など障がいを持つ人とその家族に大きな希望と勇気を与えています。2011年以来、東京藝術大学が取り組んでいる「障がいとアーツ」においても、「障がい者から学ぶ」というポリシーに沿って、金澤泰子さんは、大きな貢献をしてくださっています。